岩手県東和町の歴史は古く成島毘沙門堂や丹内山神社など坂上田村麻呂が創建に係わった社寺が点在しています。また経塚なども多数見つかっている事からも平安時代にはかなり開けていた地域だと考えられています。また、丹内山神社境内にはアラハバキ大神の巨石が祀られていて、蝦夷や俘囚の人達にとっても重要な地であったと考えられています。「前九年合戦」では俘囚の長である安倍氏と朝廷軍が戦いましたが、東和町周辺でも戦場となり、朝廷側にあった源義家が布陣し、鏑八幡神社に戦勝祈願しています。中世の東和町は和賀氏の支配下にあり家臣の小原氏が治めていましたが、戦国時代末期、豊臣秀吉による小田原の陣へ和賀氏は従わなかった為、奥州仕置により改易、復権を果たす為「和賀一揆」を起こしますが、これも平定されてしまいます。また盛岡城下から、太平洋側の領内南端である釜石まで繋ぐ釜石街道の宿場町としても栄え、多くの物資が運び込まれました。現在の東和町の中心部は大正時代に拡幅された道路の為、昔ながらの町屋などは見かけませんが、里山を控えた町並みでふるさとを感じることのできる場所となっています。
そんな昔の体験や日本古来の知恵を教わりながらの貴重な体験は一生の宝となるでしょう。